第三章 呻吟する山村と林業


 

日本の山村と林業の現状は、
青息吐息を通り越して

瀕死の状態に陥っています。

その原因は、

昭和三十九年(一九六四)から、

外国産木材に対して

関税をかけずに輸入が始まったことにあります

 

  森林産業全体の

  産業基盤部門、経済基盤や林業従事者の

   生活基盤確立の産業政策もないまま、

 

   安い外材が輸入され、

   為に、

   経済的価値を失った国内の人工林は見捨てられ、

 

   生産意欲を失った多くの林業経営者が

   廃業に追い込まれて山を去り、

 

   林業労働者は

   若年層を中心に山村から都市へ流出して、

 

   山村と林業は

   衰退の一途をたどることになりました。

 

 

  又、昭和三十五年に「燃料革命」と謳われ、

 

   石油・ガスが薪・炭に取って代わり、

 

   薪・炭の原材料の供給源であった天然生林は人工林以上に

 

   人の手が入らなくなってしまいました。

 

   その結果、山で働く人達がいなくなり、

 

   人の手が入らなくなった森林は荒廃の一途をたどっています。

 

 

 

森林の荒廃の状況がこのまま続くと、

 

木材資源の価値どころか、

 

木材資源以外の効果―――

 

 

水源を守る。

 

災害を防ぐ。

 

荒地を緑にする。

 

生命環境を守る。

 

心を豊かにする美しい森―――

 

 

等々の森林の多目的価値すら損なわれ、

 

取り返しのつかないことになります。

 

 

 

 

 

   戦後すぐ日本の森林は、

 

   国の復興資材として木材景気にわき、

 

     山村は林業バブルで(うるお)い活気がありました。

 

   

 

 

一方、人間の欲望には切りが無く、

 

 後先を考えずに、

 

森林は過伐・乱伐され、

 

伐り過ぎたための危機が生じて、

 

その後遺症は今日まで残り、

 

山腹崩壊、深層崩壊の一因ともなっております。

 

 

 

又、戦後は、

 

森林の管理・整備を木材の価値に大きく依存した結果、

 

採算がとれないことから

 

林業経営者がいなくなり、

 

現在、伐らないが故の

 

森林危機に直面しています。

 

 

 

・ 山村の現状――――

 

    山村の経済基盤、生活基盤である林業の衰退で

 

    若者は村を去り、

 

    過疎化・高齢化が急速に進み、

 

    限界集落・消滅集落といわれる

 

    山村共同体崩壊の危機に陥っております。

 

 

 

 

 ・ 奥三河、遠州山地の村々を行脚して、

 

 

              無常無我説法をきき

 

 

                  愚歌三首――――

 

 

     山は荒れ 人影まばらな 山村に

 

                       日本の土台の くずれゆくを見る

 

 

     山村の 住む人も無き 廃屋に

 

                わずかにのこる 生活のあと

 

 

     家は朽ち 荒れた屋敷の かたすみの

 

               苔むす墓は なにもかたらず

 

 


第四章 当事者意識の希薄


 

 

 

                水源山間地の村々を行脚して痛感したことは、

 

外国資本の山林(国土)買収の動きに対して、


 
地元行政、森林組合、林業事業体、木材業者等々が

 

全く他人事で当事者意識がなく、

 

“対岸の火事を見る”

 

――――自分に関係ない事柄として

 

傍観している無気力さで御座いました。

 

 

  この林業関係者の無気力さを

 

  “吹き飛ばし、やる気を起こさせるには、

 

   どうしたらよいのかを思った時に、

 

 

   ふっと連想したことは、

 

 

   佛教の”火宅(かたく)()“―――― 火宅の喩えであります。

 

 

 

この話しは人々がこの世で苦しんでいるのを、

 

焼けつつある家の中にいることを喩えたものです。

 

 

 

 

  釈尊は、弟子 舎利弗(シャーリプトラ)に語りかけられる―――。

 

 

     

     富裕な長者がいた。

 

    彼の家は大きく広かったが、

 

    はるか昔に建てられたものだったで、

 

     柱の根元は朽ちはて、壁は崩れかかっていた。

 

     しかも入り口は一つであった。

 

 

     突然その家のあちこちから火の手があがり、

 

 

      家全体が炎につつまれた。

 

 

 

     さあ大変だ。逃げなくてはならない。

 

 

 

     長者は無事に逃れ出たが、

 

     まだ家の中には彼の子供達が大勢いるのだ。

 

 

 

     長者は心おののきながら考えた。

 

 

 

「自分だけはどうやらすばやく逃げ出せたが、


子供達は燃えさかる家の中にいて、

 

玩具(おもちゃ)で遊んでいる。

 

家が燃えていることも知らない。

 

なんとか助けなくては」。

 

 

 

 

  長者は考えた。

 

 

 「うまい手段を講じて子供を助けなくてはならん」。

 


そこで次のようにいう。



「子供達よ。

 

   出ておいで、

 

   おもしろい玩具(おもちゃ)が沢山あるんだ。

 

 


牛の車、羊の車、鹿の車なんかもある。

 

 

 

   早く玩具をとりに出ておいで」

 

 

 

 

  子供達は、

 

   自分たちの欲しいものが手に入ると聞いて、


いそいで燃えさかる家の中から飛び出してきた。

 

 


長者は子供達が無事であるのを知り、

 

 

  安心して不安はなくなった。

 

 

 

  子供達はいう。

 


「お父さん。早く車を下さい」

 


長者は思う。

 

 


「子供達は、みな同じわが子。

 

    大切な子らである。

 

    差別することはできない」

 

 

 

   こうして長者は、

 

 

    すべての子供達に、

 

 

    白い牛のひく大きな立派な車を与えたのだった。

 

 

 

 

   この火宅の喩えを山村の現場に置き換えて考えてみると、

 


  牛・羊・鹿の三車は

 

 

    山村の経済基盤、生活基盤である林業ということになります。

 

 

 

  ・ だが「林業では飯が食えぬ‐‐‐‐」、

 


「山の仕事はえらいわりには金にならん‐‐‐‐」、

 


「山から木を出せば赤字だ‐‐‐‐」―――――

 

 

       ではどうしたらよいのか?

 

 

 

答は、

 

 

「林業は儲かる」、

 

 

「山の仕事は金になる」という、

 


儲かる林業の仕組みを作ることです。

 

 


――――林業は儲かる。

 

 

 

山仕事は金になるとなれば、

 

 

人々はほっておいても山に入り、

 


植林し、森林を管理・整備します。

 

 

そして、結果として、

 


山を堅固にし、

 

 

山の荒廃を防ぎ、

 

 

水源を確保し、

 


下流の水害を防ぐという効能があり、

 


国は金を使わずして、

 

 

民の力で

 

 

治山事業の効果をあげることができます。

 

   それには、

 

 

儲かる林業のメカニズム

 

 

を作ることが緊要であります。

 

 


    

寸 話   自利利他 の 法   ―人間の欲を活かすー

   

   

     私は 人間の欲を世の中の人々が重んずるようでいながら、

   その実これを軽視し、侮蔑していることに対して、強い疑問を抱いております。

 

      そして、欲こそ人間の行動の源泉であり、出発点であり、

   生命と同じように尊いものであると捉えております。

 

    ただ、その欲をそのまま放置せず、

    人間の知恵で、その欲に方向を与えなくてはなりません。

 

    ―――その知恵を人間に与えるもの―――

 

    禅僧にとって、それは仏法(禅)の光であります。

 

・ 娑婆世界即禅道場―――欲望渦巻く生きた人間世界に、

 

  縁あって禅僧の端くれとして生きる私の不動禅は、

 

  欲を抑え殺すのではなく、欲を知恵によって活かし、

 

  欲を開発し、欲を自利利他の欲に変革し、

 

  人間を最も生命力のある人間として、

 

  この世に生きさせようというところにあります。

 

 

・ 今日、人間の欲望は、政治的、経済的、社会的に開発されたが、

 

  その欲望が

 

    人間の知恵を離れて、

 

  人間を押しつぶそうとしている時代であります。

 

 

  しかし、欲を開発していくなかで、

 

  自利利他の欲へと変えていくならば、

 

    何も心配することはありません。

 

 

 

  むしろ、人間の欲を正当に理解し、

 

    正当に位置づけて、

 

  欲を開発し、

 

    欲を活かし、

 

    自利利他の欲へと変革し、

 

  人間を

 

    最も人間らしく生き抜こうとする人間に変えていくことが

 

  肝要だと思っております。

 

 

倉廩(そうりん)()ちて、(すなわ)礼節(れいせつ)()り、衣食(いしょく)()って(すなわ)栄辱(えいじょく)()る。

                    (『管子』牧民)

 

 

(くら)の中の品物が豊富になってくると、

 

人ははじめて礼節を知ることができ、

 

日常生活に必要な衣食が十分に足りてくると、

 

はじめて真の名誉、恥辱がいかにあるべきかを知る。 


 


第五章 儲 か る 林 業


第一節 林業は治山治水の要


  林業は、山に植林して生長した木を伐り出し、

 

  利益を得るというだけでは、

 

  十分その目的を果たしたとはいえません。

 

 

林業の本当の目的は、

 

植林した木が年数を経るにしたがって根を張って山肌を堅固にし、

 

それによって水源を確保し、

 

下流の水害を防ぐという点に最大の目的があります。

 

 

即ち、

 

治山治水と林業とは、

 

その仕事は違っても、

 

その目的とするところは同じであります。

 

それを身を以って示したのが、

 

金原明善翁であります。  

 

 

私心一絶萬功成
   私心がなければ万功は成る

 

私心というものがなければ万功は成るが、

これに反して少しでも私心があると、

万功は望むべきもない。

 

しかし私心というものは、知らず知らずの間に発生し、

また知らず知らずのうちに動作に現れるものである。

 

だから私心を除くのは容易なことではなく、

大決心、大覚悟がないとできない。    (金原明善翁)

 

 


第二節 金原明善翁の植林事業


 

・  明善翁は、二十四歳の若さで安間村(現・浜松市安間町)の名主になりました。

 

       そして、天龍川の洪水の惨禍から流域住民を救わんと、

 

   父祖伝来の全財産を擲って、

 

       天龍川治水事業に全精力を注ぎました。

 

    五十四歳の時、

 

   天龍川治水工事を政府の手にゆだね、

 

   植林事業に取り組みました。

 

 

 

 ・  明善翁は、明治十八年(五十四歳)から

 

   大正十二年(九十二歳)で世を去るまで約四十年間、

 

  独立どくりつ独行どっこうで精力的に天龍川流域

 

       植林事業に自分のすべてを捧げつくしました。

 



明善翁の植林事業にかける心情は

 


「国土というものは、


 山は骨格となり、


 川が筋脈となっているのである。

 

       したがって国土経営には、まず第一に山川を治めることが必要である。

 

      もし、山川を荒廃のままにしておいたら、

 

   決して健全な国家ということは出来ない。

 

その重要な国家の筋脈である天龍川は、

 

このたび官(政府)の直営となって、


改修の方法が確立されることになったが、


その水源である信遠三(長野県、静岡県、愛知県)の山脈は、


旧態依然として禿山が並んでおり、山肌が露出している。

 


これを改善することは、自ら水源の涵養をはかり、


また治水の根本を固めるとともに、


国土を保全し、天物を利用するものであって、


国利民福を増進するものである。」

 

 

という言葉に語りつくされていると思います。

 

 

 

そして、明善翁は「私心一絶万功成」の境地に立って、


国の力を借りずに自分の独力で、


自らの信ずるところを一路邁進した信念の人でありました。

 

 

 

  明善翁は、

 

  山と川は、

 

  日本国土の骨格と筋脈だと考えており、


これが脆弱では国家の発展はありえない。

 


したがって

 

――治山、治水、利水は三位一体である――

 

という国家的立場に立った、


総合的国土経営計画の実現に、

 

その生涯を捧げたのであります。

 

 

  一般に山林地主の行う植林は、


当然のことながら

 

  自家の財産を増殖するのが目的であります。

 

 


したがって公共的なものではありません。

 

しかし、明善翁の植林は、金原家の財産として植林したのではなく、


純粋に公共的なものでありました。

 


そこに明善翁の植林事業の特色があります。

 

 

 


第三節       林業は儲かる仕事


 

明善翁は、植林事業の経営に当って、
    「自分は、国の為と思ってやっているが、
     しかし、世の中に国の為と思って植林をしている人は稀であろう。

    では明善一人で日本全国に植林が出来るかというと、それは不可能である。
    大勢の人間でやらねば出来ない。
    しかし、どうしたら大勢の人間が、日本国中で
植林をするようになるのであろうか。

    それは植林が儲かる仕事であること
  を、大勢の人に知らせることである。
    そのためには植林を儲かる仕事にしなくてはならない」と、

    その覚悟を述べています。

 

  「国土経営の要諦は、治山治水にあり、水を治る根本は、山を治るにある」

    という信念に生きた金原明善翁の理想は、日本全国の山を緑化することにありました。

 

しかしこのような大きな理想は、明善翁一人の個人の力だけでは到底できない。

 

植林は土地と密着したものであるから、

植林には、その地方の山林地主や林業者の協力が必要でした。

 

苦労人の明善翁は、人間の機微をよく心得ていましたので、
彼等を協力者にするには、
ただ植林の必要性と可能性を説いただけでは、駄目だと考え、
植林の公共性のほかに、植林の経済性、
即ち、植林は利潤を産み、利益になることを示す必要がある

――――ということは、彼等の生産する木材を、
商品として有利に市場に結びつけてやらなければならない。

 

そのためには、植林の利益性を説くだけでなく、
実際にその利益を産むメカニズムを世の中に作ることである

――――と明善翁は机上の理論理屈ではなく、
言うからには、先ず実践する。実践して手本を見せ、
よくその趣旨を説明し、趣旨を分かってもらうのが明善翁のやり方であります。

 

  自分が実践躬行してやってみせる―――そのために、東海道線が開通すると、
ただちに天龍運輸株式会社を設立して、
それまでの危険な海上運送に代えて、
迅速、安全、正確しかも運賃の安い陸上運送に道を開きました。

 

  また木材の商品価値を高くするためには、丸太のままよりも、
板、角材、樌などの製品として市場に送りだす方が有利であるから、
明善翁は洋式製材の天龍木材という製材の会社も経営しました。

 

明善翁はここでも植林、運送、製材の

三位一体の事業を成功させていたのであります。       

 

 

 ・ こうした明善翁の種々の施策が、天龍川水系の気候と地質にマッチして、
       静岡県の北遠地方を、木曽、吉野熊野と並ぶ、

       日本の三大林業地の一つにまで発展させたのであります。

 


第六章 無功徳


・ 

 

 

 

 

 

  

 

  

 

 

 

 

     

      金原明善翁

 

 

     中国南朝りょうの武帝(四六四~五四九)は、

       深く仏法に帰依し、

    時には袈裟をかけて自ら仏典を講義したので、

       世人は尊んで「仏心天子」と称賛しました。

 

 ・武帝は、インドから達磨大師が渡来したと聞くと、都の(きん)(りょう)(南京)に招請して、

  「私は即位以来、寺を造り、経を写し、多くの僧侶を育てたりしたことは、数えきれないほどですが、どんな功徳があるか」

 

と尋ねたところ、達磨は

 

(ならび)無功徳(むくどく)

(どれもこれも、すべて功徳にはならない)

 

と、答えました。

 

武帝は、さらに「私は、これだけ仏法のために尽くしてきたのに、

どうして功徳がないのか」と問い返すと、

 

達磨は、

「あれもしたこれもしたと、功徳を積んだことを自負(じふ)したり、

(おん)にきせたり、()められたり、(あが)められたりされることを、

期待しているのでは、何もならない」と答えました。

 

善行と意識している善行は、真の善行ではなく、

功徳と意識している功徳は、真の功徳ではないことを、懇々と諭されました。

 

ここに達磨大師の大慈悲心があり親切心があります。

 

 

 ・真の功徳は、達磨が説破された「無功徳」。

  即ち、世俗的な功徳を超越したところに、真の功徳がある―ということです。

 

    福徳を求める欲心を捨てれば、

    福徳は自然に満たされる。

         (()(そう)()(せき)禅師(ぜんじ)


 

 ・金原明善翁の事績を訪ね、翁の遺徳にふれて、

 

  「国土経営の要諦は、治山治水にあり。水を治むる根本は、山を治むるにある」

 

   という信念に生きた明善翁の、厳しく自己を律した精神性の強い生き方は、 

 

    無功徳

 

  の一語に尽きる と 思うと同時に、 

  煩悩地獄・妄想苦海で

七転八倒している自分の生き方を深く反省させられました。


寸 話

  

 いくたびか辛酸しんさんこころざしはじめてかたし、

 

丈夫(じょうぶ)玉砕(ぎょくさい)して(せん)(ぜん)()

 

 

 

()(いえ)()(ほう)(ひと)()るや(いな)や、

 

児孫(じそん)(ため)美田(びでん)()わず。

                              (西郷南洲翁)

 

 (意 訳)

 人の志というものは、幾度も幾度も、つらい目ひどい目に逢うて後、 

 はじめて堅く定まるものである。

 

 そこで、真の男子たる者は、先ず幾多の辛酸を嘗めて志を堅くし、 

 其の堅い志を貫く為には、玉となって砕けることを本懐とし、 

 志をまげて瓦となって無事に生きながらえることを恥とする。 

 

 それに就いて、自分が家法として子孫に遺したく思う事が一つ有るが、 

 それが何であるかを知っている人が有るか知らん。 

 子孫の為にといって良い田を買わない事がそれである。

 

  親ゆずりの美田が有っては辛酸が嘗められず、辛酸を嘗めねば志が堅くならず、 

 志は堅くなくては玉となって砕ける力が無く、 

 瓦となって無事に生きながらえたい心も起こり易い。

 

詰まり、子孫の為と思って美田を買う事は、

却って子孫の不為(ふため)だから、 美田を買わないのである。  (『西郷南洲先生詩集』から) 

 

 

  明善翁は、

「人間は自分の力で食っていかなければならない」、
祖先の残した財産や親の威光で暮らしている人が、
いくら立派なことを説いても、聞く人の耳に入らないが、
痩せても枯れても自分の力で暮らしている人の説には、
必ず聞く人の耳に入るものである。


人は自分の力で立たなくてはならない―――と説き独立自営を信条としました。

 

 

 

 この明善翁の生き方と西郷南洲翁の生き方が重なり、


 益々、南洲翁、明善
翁の行き様に裏付された「無功徳」の禅語が心に深く刻み込まれました。

 

 

 


第七章 草 の 根 の 偉 人    

     ―野に在って国に尽くすー


道徳を忘れた経済は罪悪である

 

経済を忘れた道徳は寝言である

 

 

              (二宮尊徳翁)


第一節 道徳経済一元


 

   二宮尊徳翁は、報徳思想を説くに当って、

教えの柱の一つとして

「道徳経済一元」ということを提唱しました。

 

道徳と経済は、

よくバランスがとれて、

よく濃縮されて、

相互に補強し合って、
理想の社会が実現されるようにしなければならないというのが、
翁の教えであり、報徳の理念であります。

 

一.      道徳を忘れた経済は罪悪である

 

それが昨今、大企業の不祥事に見られるような、
利益至上主義、拝金主義経済一辺倒の世の中になってしまいました。

それは一口にいえば、経済が道徳を忘れて独走したからであります。

  

・ 『経済』の二字は「経世済民」(世の中を治め、民衆を救う)、「経」は治める。「済」は、救済するの意で、この語を略して、英語の<economy>の訳語にあてたのが経済であります。
そこに当時の日本人の心の深みが感得されます。

・ 経世済民の志を忘れた道徳無き経済活動や企業経営は、
やがて破錠して亡びていくのは、歴史の示すところであります。

 

 

徳者事業之基。未有基不固而 棟宇堅久者。

 

(訓読)

  (とく)事業(じぎょう)(もとい)なり。(いま)(もと)(かた)からずして、棟宇(とうう)(けん)(きゅう)なるものは()らざるなり。
(『菜根譚』前集一五八)

 

如何なる事業をなすにしても、土台となるものは道徳である。

道徳が堅固に土台をなさずして成立したる事業が、
もし世の中に有るならば、それは一時の成功であって、
直にくずれてしまうことは、

礎石を固くせずして建てた(むね)(やね)が、丈夫で長く維持出来難いと同じことである。

基が礎石、即ち、土台石である。

 

(釈宗演禅師『菜根譚講話』大正十二年四月十日発行より)

 

 

二、 山林思想への開眼

 

 ・ 暉兒翁が、山林思想への目を見開いたのは、実はこの生死の生地獄を、

この世で味あわさられるという、「天保飢饉」の実体験が引き金になっています。 

   
詰り、飢饉体験を通して

利己の目は、公益の目へと開かれた」―――のであります。

 

 

利己の目的から公的利益へと開眼し、さらに次元の高い山林思想へと発展し、
以降、暉兒翁の行動には、

「独り、一家の富栄をはからず、郷村共同の利益を推し進める」
―――地域共存同栄の山林思想が基底を貫いております。

 

 


 

      

・ 明治十年(一八七八)十月二十四日、暉兒翁は濃尾大演習拝観の旅に出ました。

 

    そして、伊勢神峠(標高八〇〇m)に立ち、周辺の景観を眺めて思いました

 

   

          ――――峠を境に、東の方は山高く緑は深い。

    しかし、耕地はいかに少ないことか。

 

   西の方は山はだんだん低くなり、緑も少なくなる。

 

   しかし、耕地は甚だ肥沃となり、稲田が果てもなく広がっている。

 

  「沃土の民と、やせ土の民と同じ民でありながら、その幸不幸は果たして、いかがなものか」

 

   と煩悶しました。

 

   詰り、山村なるが故の地理的、自然条件からくる平地の民との格差です。

   翁の煩悶の中味は、この点にありました。

 

大演習拝観の旅を終って、暉兒翁は、ふたたび伊勢神峠の頂きに立ち、

遥かに南西 伊勢の皇大神宮を拝し、四方を望見して翻然として大悟しました。

 

 即ち

「山の民には樹木、平地の民には農産、海辺の民には魚塩の幸がある。

 

それぞれ、そのところに従って誠を致すものに幸を授け賜うのが神の御心なのである。

 

それを知って、人々がその地域に適した業を求めて精進するならば、

 

家は栄え、貧しきものない世の中の実現ができる」と――――。

 

 その結果、暉兒翁がいきついたのは、土地に適応する敵地栽培。

 

  それは茶や煙草、養蚕、製糸ではなく、「山林開産」でありました。

 

   詰り、山ならば山の幸、海なれば海の幸と神の贈り賜うたものは公平である。

 

   故に「山の民」はすべからく「樹を植えよ」という行動に結びついていきました。

 

   しかも自家一身、一村落の話ではなく、

   広く地域に及ぼさんとする「公益」の思想が根底にあります。

 


 

 

 

 

古橋源六郎暉兒翁の

手による天保の植林

(樹齢180年)

 

 

 

 

四、 百年計画の植樹法

 

  山という山に木を植えて「万世富栄」の基を開く「百年計画の植樹法」は、

 暉兒翁が構想を練りに練ったあげく、明治十四年(一八八一)行動を起こしました。

 

それは古橋家の所有田地を抵当として、

その作徳を植樹扶食(ぶじき)(まい)に当てさせ、

それをもとにしておこなったところの百年計画の植林事業であります。

 

  「造林功労者事績」(大日本山林会刊)に

 

 「自己所有の田地を提供して食米に宛つる等、

 

    己が利を捨てて専ら公益に利せんとし

 

  篤志を見るに足るべしーーー云々」

 

    とあります。

 

この「地域共存同栄」の思想・理念の「根」にあるものは、

 

暉兒翁が天龍林業の素地をつくった金原明善翁に語った

 

「一本の木を植える心は、

 

 自身一家の富のためではなく、

 

 自分とともに、

 

 その周りの者も栄え、

 

 村や国の栄の基になるものでなくてはならぬ」

 

の一言に尽きます。

 

  暉兒翁は

 

 「自未得度先度他」(自ら救われずとも、他を先ず救わん)と、

 

「公益」の思想を体ごと貫いて一生を終りました。

 

明治二十五年十二月二十四日 逝去。八十歳でありました。

 

 

翁は、わずか十九歳で家督を相続するや、

 

幕末激動の時代に否応無くにのみこまれました。

 

そして、試練は暉兒翁一身にかかってきました。

 

生まれつきの才気、敏捷さ、行動力等の素質はもちろんあったにせよ、

 

やはり人間修行に裏打された精神力、人間力というほかありません。

 

私は、東海道行脚で

 

二宮尊徳翁 金原明善翁 古橋源六郎暉兒翁の事績を訪ねその遺徳にふれて、


自己を厳しく律した精神性の強い生き方、人生への姿勢、態度から


人間が人間として生きる大本である<
生きるに価する価値>とは何かを教えられました。